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新着情報

ニュースレター「ひとりから、長崎から」第10号(2024.7.29)を配信しました

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編集室水平線のニュースレター「ひとりから、長崎から」第10号(2024.7.29)
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こんにちは。編集室水平線の西浩孝です。
ニュースレター「ひとりから、長崎から」第10号をお届けします。

10号しか。10号も。わたしの実感は「も」。

ひきつづき、長崎の地からこつこつと。よろしくお願いいたします。

(このレターは、PCで読まれることを想定しているので、スマートフォンでは
読みにくいかもしれません。あらかじめご了承ください。)

(↑これと↓これ、毎回書いていて恐縮ですが、新しく登録していただいた方
のためにそうしています。以前から読んでくださっている方には恐縮です。)

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ニュースレターの内容紹介です。

「新着情報」では、文字どおり、水平線および水平線の刊行物に関する最新の
情報をお知らせします。

「作業日誌+α」は、ニュースレターが隔月配信なので、その2か月のあいだ
にメモした短い記録をいくつか掲載します。「+α」とあるのは、編集作業と
は関係のない記述も含まれているためです。

「海岸線」は、編集人(わたし)による書きものです。そのときに書きたいこ
とを自由に書いていきます。今回のタイトルは「爆心地のラブホテル」。

「本棚の本」では、水平線(わたし)の本棚にある本を紹介します。これは、
フェイスブック、インスタグラムに投稿しているものと同じです。とくに感想
も解説も付けていないので、なんともそっけないコーナーです。

「『雨晴』から」は、オンラインマガジン『雨晴』(suiheisen2017.com)のなか
から、公開済みのひとつを選んで、一部または全部を掲載するものです。今回
は西尾漠さんの連載『極私的原子力用語辞典』の第31回から「福島第一原発」。

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それではどうぞご覧ください。

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【新着情報】シリーズ「伊藤明彦の仕事」刊行予告 ほか
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シリーズ「伊藤明彦の仕事」の刊行を開始します。

伊藤明彦さん(1936-2009)は元長崎放送記者。被爆者の「声」を聴き、伝える
ことに人生をかけました。

1960年、長崎放送に就職。1968年、「被爆者の声」の収録とその長期的な保存、
一部の放送を目的とするラジオ番組『被爆を語る』を企画・提案。同年11月ス
タート。初代の担当者となりますが、半年後、佐世保支局への転勤を命じられ
てしまいます。1970年7月、退職。

東京へ出て、日本電波ニュース社に勤務(短期間)。在職中の1971年7月、主
として民間放送関係者数人に呼びかけて、「被爆者の声を記録する会」を結成。
被爆者への聞きとり録音を独自に開始します。

早朝・深夜のパート労働に従事しながら、東京、広島、東京、福岡、長崎と転
居をくりかえし、青森県の津軽地方から沖縄県の宮古島まで、重さ13キロの録
音機をさげて21都府県の被爆者およそ2000人を訪問、1979年6月までの8年
間で約1000人の「声」を収録しました。

1982年から、代表的な録音をおおまかに編集して複製したオープンリール版
『被爆を語る』(51人分・52巻、約70時間)を全国13か所の平和資料館、図
書館などへ寄贈。1989年、本式の編集をおこないナレーションをつけた音声作
品、カセットテープ版『被爆を語る』(14人分・14巻、約18時間30分)を制
作。1992年までに全国944か所の平和資料館、国公私立図書館、大学図書館、
高等学校図書館などへ寄贈しました(トータル1万3660巻)。

2006年、被爆者248人の「声」をつづって被爆の実相を時系列で再現した音声
作品『ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない』(CD9枚組、8時間40分)を
制作。複製764組を全国の平和運動団体、平和資料館、大学平和研究所、図書
館、平和教育・平和運動を実践している大学・高校・中学・小学校の教員、市
民運動家など547団体、個人へ寄贈・謹呈しました(トータル6876枚)。
(ネットで視聴可能。「被爆者の声」http://s20hibaku.g3.xrea.com/index.html

すべて自費です。

2009年3月、肺炎で死去。72歳。原テープは現在、国立長崎原爆死没者追悼平
和祈念館に所蔵されています。

本シリーズは、伊藤明彦さんの著作復刊および音声作品の活字化を目的とする
ものです。構成は以下のとおり。

〈1〉『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』/『シナリオ 被爆太郎伝説』
(第一著作と第三著作)
〈2〉『原子野の『ヨブ記』 かつて核戦争があった』(第二著作)
〈3〉『夏のことば ヒロシマ ナガサキ れくいえむ』(第四著作)
〈4〉『幾萬の黒こげのひと歩みゆく』(未刊歌集)
〈5〉『ヒロシマ ナガサキ 私たちは忘れない』(8時間40分の音声作品〔248
人から抽出した394話〕)
〈6〉『被爆を語る』(18時間30分の音声作品〔14人14話〕)

伊藤明彦さんの残した仕事、記録された被爆者の「声」は、わたしを感動させ
ずにはおきませんでした。

第1巻は今年11月に刊行の予定です。

 ***

来月8月、大江満雄編『詩集 いのちの芽』(解説=木村哲也)が岩波文庫とし
て刊行されます。
https://www.iwanami.co.jp/book/b649634.html

1953年、詩人の大江満雄(1906-1991)は、全国8つのハンセン病療養所の入所
者73名の詩227篇からなる合同詩集を編みました。それが『いのちの芽』です。

療養所の詩人たちは、みずからの境遇を「宿命」とするのではなく、生命の肯
定、人間への愛惜、差別への抗議を、力強くうたいました。戦後詩史のなかで、
特別な輝きを放つものです。

木村哲也『来者の群像 大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』は、『いの
ちの芽』に参加した詩人たちを全国に訪ね、大江とのあいだにどのような交流
があったのか、そして、絶対隔離政策のもとで彼らがどのように生きてきたの
かを聞き書きした一冊。発売以来、絶えることなく注文がつづき、版を重ねて
います。

『いのちの芽』とともに、本書を手に取っていただければ幸いです。

以下のページで、内容紹介、目次、本文の一部を読むことができます。
https://suiheisen2017.jp/product/713/

 ***

オンラインマガジン『雨晴』を、だいたい週に1回のペースで更新しています。
この間に公開したのは、以下のとおりです。

●亀山亮『戦争』
第11回「パレスチナ・ナクバの再来」
https://suiheisen2017.com/kameyama-ryo/3100/
●西尾漠『極私的原子力用語辞典』
第31回「風評被害」「福島第一原発」「ふげん/もんじゅ」「負の遺産」
https://suiheisen2017.com/nishio-baku/3113/
第32回「プルサーマル」「フールプルーフ」「プール落下」「文献調査」
https://suiheisen2017.com/nishio-baku/3116/
第33回「平和利用三原則」「ベースロード電源」「ベント」「放射能」
https://suiheisen2017.com/nishio-baku/3119/
●諸屋超子『くたばれ』
第11回「マージナル・マージナル」
https://suiheisen2017.com/moroya-choko/3146/
●しろくま『銀世界』
第4回「森へ」
https://suiheisen2017.com/shirokuma/3158/
●姜湖宙『ストライク・ジャム』
第11回「distance」
https://suiheisen2017.com/kang-hoju/3163/

オンラインマガジン『雨晴』は、アプリ「編集室 水平線」内で公開しています。
以下のページから、お手持ちのスマートフォンやタブレットに、インストール
をお願いします。
https://suiheisen2017.jp/appli/

『雨晴』はsuiheisen2017.comでも読むことができますが、アプリを入れると、
毎回プッシュ通知で更新情報が届きますので、こちらを推奨しております。

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【作業日誌+α】2024年6月〜2024年7月
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●6月1日(土)
昨日アマゾンから入金あり。微々たるもの。あるだけマシか。

●6月5日(水)
晴れ。最近は5時ごろに目が覚める。午前、「伊藤明彦の仕事」のためにこれ
まで集めた資料からの抜き書き作業。昼、五木うどん(卵入り)。川原一之さ
んから『和合の郷』増刷の件で電話あり。午後2時、昭和堂Kさんの運転で、
自分史を作りたいというHさんを訪ねる。聞き取り2時間。時系列不明。エピ
ソードが出てこない。資料や写真もない。ご高齢。仕方ないのか。腹が減った
ので、ポテトチップス(のりしお味)を食べた。

●6月10日(月)
晴れ。バスで浜の町の長崎セントラル劇場へ。11時『ありふれた教室』(イル
ケル・チャタク監督、2022年)、12時50分『エル・スール』(ビクトル・エ
リセ監督、1983年)、2本つづけて観る。ビクトル・エリセは先週観た『ミツ
バチのささやき』(1973年)がすばらしかった。俳優たちの顔つき、風景、時
間の流れ…。来週は最新作の『瞳をとじて』(2023年)を観る。帰宅後、「伊
藤明彦の仕事」抜き書き作業。

●6月17日(月)
昼まえ、九州北部が梅雨入りとのニュース。いまはくもり。アマゾンから返品
が来て、一気にやる気を失くす。インベカヲリ☆の新刊『なぜ名前に☆がある
のか?』(読書人)。同紙連載時、いつも最初にこの欄を見ていた。山ほどの
新刊、書評。各社各人の活躍を見るのがつらい。4年ほど前に購読をやめた。

●6月20日(木)
雨。吉報。大江満雄編『詩集 いのちの芽』、岩波文庫入り。8月刊行予定。木
村哲也さんの『来者の群像 大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』は水平
線の出版第1号。大江さん関連の本は大月書店時代にも2冊編集。感慨深い。

●6月25日(火)
請負仕事に取り組む。入稿時の組版指定原稿と初校ゲラの引き合わせ、素読み。
割付の仕方からして、この本の編集者はベテランではなかろうか。あるいは先
輩に丁寧に教えられたか。ミスを見つけるとうれしい。貢献した気になる。

●7月5日(金)
暑い。すごい勢いで缶の強炭酸水を消費している。エアコンの効きが悪いので、
業者にそうじを頼む。前田哲男さんにしつこく問い合わせメール。しろくまさ
んから届いていた絵を確認。姜湖宙さんから原稿来る。夕方、森元斎さん来た
る。ありがたや。

●7月11日(木)
小雨。空気が生ぬるい。疲れぎみ。7月ももう10日が過ぎた。午前に電話あり。
ほんだコーポレーションMさんへの取材、明日14時に。昼休憩、畳に寝転がっ
てYouTube。無為。午後、「伊藤明彦の仕事」抜き書き作業中、胸が熱くなる。
夕方、雨が強まった。

●7月19日(金)
やたらと夢を見る。昨日はメキシコで銃撃された。午前9時半、オンラインマ
ガジンの更新。読売新聞オンラインで「映像作家・佐々木昭一郎さんがのこし
たもの」と題する中尾幸世へのインタビュー記事を読む。6月14日、88歳で逝
去とのこと。NHKのBSで『夢の島少女』を観た記憶がある。午後、『未来か
らの遺言/被爆太郎伝説』の巻末に付ける文章をついに書きはじめる。夜、高
岡のばあちゃんが送ってくれたスイカを食べた。子どもは明日から夏休み。

●7月27日(土)
県立長崎図書館郷土資料センター『戦争・原爆と長崎の文学』展の関連講座、
岩波書店元代表取締役社長(雑誌『世界』元編集長)山口昭男さんの講演「戦
争の記憶を消してはいけない! 吉村昭、井出孫六、井上ひさし」を聴きにい
く。戦後79年。井上ひさしの信条は、「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延
びよ」。

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【海岸線-8】爆心地のラブホテル
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長崎県長崎市松山町。爆心地公園。

1945年8月9日11時2分、アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は
この地の上空約500メートルで炸裂した。

長崎県長崎市平和町。ホテル シーガル。

爆心地公園の脇を流れる川を隔ててすぐ近く。歩いて5分ほどの場所にある。
看板が丸見え、外観は古い。

19室。駐車場12台。平日は休憩3時間で3500円。

デリヘルに使われることも多いのだろう。若い女性が建物から出てきて、そば
に停まっている車に乗りこむのを何度か見たことがある。

爆心地とラブホテル。この組み合わせ。

被爆死者7万人。平和を祈念するさまざまなモニュメント。資料館を訪れる多
くの観光客や修学旅行生。その横で、男と女、女と女、男と男がまぐわう。声
がもれる。シャワーの音が聞こえる。

思いがけない風景だけがそびきよせるもの。

ラブホテルの存在は、わたしをナガサキに近づかせる。原爆が人間を滅ぼす可
能性と、人間が原爆を滅ぼす可能性を、わたしは考える。

爆心地のラブホテルは、想起させ、予感させ、日常のなかに立っている。

(了)

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【本棚の本】ナギーブ・マフムーズ『蜃気楼』 ほか
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●ナギーブ・マフムーズ『蜃気楼』高野昌弘=訳、第三書館、1990年

●バオ・ニン『戦争の悲しみ』井川一久=訳、めるくまーる、1997年

●木村哲也『『忘れられた日本人』の舞台を旅する 宮本常一の軌跡』河出文
庫、2024年

●川田文子『戦争と性 近代公娼制度・慰安婦制度をめぐって』明石書店、
1995年

●一ノ瀬俊也『故郷はなぜ兵士を殺したのか』角川選書、2010年

●高橋哲哉『思考のフロンティア 歴史/修正主義』岩波書店、2001年

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【『雨晴』から】
西尾漠『極私的原子力用語辞典』第31回「福島第一原発」
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◉福島第一原発

東京電力が福島県大熊町と双葉町にかけて建設・運営した原子力発電所。2011
年3月11日の東北地方太平洋沖地震に伴い1~3号機で炉心溶融のメルトダウ
ン、1、3、4号機で水素爆発、2号機で格納容器下部の圧力抑制プール(サプ
レッションチェンバ)付近での破損が起きるなどして、大量の放射性物質を環
境中に放出、1~4号機は12年4月19日に廃止された。比較的被害の小さかっ
た5、6号機も14年1月31日に廃止され、全基で廃止措置が続いている。

〈金がもの言う〉

東京電力建設部の佐伯正治らが1963年暮れに現地測量を前に宿泊しているとこ
ろに志賀秀正大熊町長が四斗樽をもってあいさつに来たときの話を佐伯は、樅
の木会・東京電力原子力会編『福島第一原子力発電所1号機運転開始30周年記
念文集』(2002年)に寄せた「当時の思い出」に書いている。「本当に東電は
発電所を造ってくれるのですか」と確認を求められたんだそうな。「1時間の
食事中何回も『建設してくれますか』と聞かれた」と。2年あまり前の1961年
9月には、大熊・双葉両町の町長が原発誘致と事業促進の陳情書を、両町議会
議員全員の誓約書を貼付して福島県と東京電力に提出していたという。

そんな歓迎を受けた側の意識を、『東京電力株式会社社報』1966年8月号で福
島原子力建設準備事務所の佐々木豊弥次長が露骨に語っている。「双葉地区と
いうのは。福島県でも低開発地域として指定しているところで、特別の産業が
ないのです。平(たいら)から原町(はらのまち)までの間に従業員30人以上
の事業所が四つか五つしかないという具合で、そこに約400億円を投じて科学
の最先端をいく原子力発電所ができるというのですから、まさに熱狂的な歓迎
ぶりなのです」。よく言うよ。『社報』が町民の目に触れるとは思ってなかっ
たのかな。

いや、町民はわかってた。『大熊町史 第一巻・通史』(1985年)の「第四章
電力」は指摘する。「大熊町あるいは双葉郡に言わば時代の先端をいく原子力
発電所が設置されたのは、双葉郡内が福島県でも開発の遅れた地域であり、設
置者の立場からすればその適地であると考えられていたからであった。しかし、
それはあくまで設置者側の観点からするものであり、設置される地元との間に
はあらゆる面での認識のギャップがあったことは事実である」。

『土木施工』1971年7月号に小林健三郎東京電力前原子力開発本部副本部長が
寄せた「福島原子力発電所の計画に関する一考察」では、「立地費、送電線費
の総合評価」によって選んだとある。あれれ、安全性は? 「過去に地震被害
が少ない」? 見事なまでのコスト重視だぜ。

〈正体見たり〉

人口密度の低さも、意味を持ったようだ。『大熊町史 第一巻・通史』は、日
本原子力産業会議『原子力発電所と地域社会 : 立地問題懇談会地域調査専門委
員会報告書<各論>』(1970年)の報告書の記述「福島原子力発電所の立地点
は、東京の北方約220キロメートル(中略)原子炉の設置地点から最寄りの人
家までの距離は約1キロメートルで、周辺の人口分布も希薄であり、近接した
市街地としては約8.5キロメートルに、昭和40(1965)年10月現在人口約2万
3000人の浪江町がある」を引用して、こう述べている。

「東京から遠いこと、人口稠密の地域から離れていることが立地条件として考
慮されていることからすれば、いかに技術的安全性が強調されようとも原子力
発電所の性格なるものが如実にしめされているといわざるをえないであろう。
しかも、浪江町よりも近いところに当時人口7629人の地元の大熊町、隣接の人
口7117人の双葉町、人口1万1948人の富岡町があることは、この説明からすっ
ぽりと脱落している事実に気づかなければならない。2万人以上の町なら市街
地として扱うが、1万人前後の町は配慮の対象にならないという論法が、要す
るに原子力発電所の立地が東京からの距離の遠さを力説する形で適地の判断が
なされることにつながっているのである」。

この章の執筆者は社会党町議だった浦野誠康だと50年ほど以前になるか当人か
ら聞いたが、執筆分担では岩本由輝山形大学教授と書かれている。協力をした
ということなのか。ゴーストライターだったってこたぁないだろう。とまれ熱
烈な誘致から醒めた大熊町の意識が、執筆者の人選にあらわれたことは確かと
思える。

いずれにせよ福島第一原発の建設地は、安全性の確保とはおよそ無縁な、ある
いは最も安価な安全性確保を考えて、事故が起きても被害は小さい、東京は影
響を受けないとの勝手な決めつけによって選定されたことは明白だ。

『東芝レビュー』1969年1月号で、東芝原子力技術部の一木忠治は書いている。
「安全性に関する要求は、現状の経済性のある原子力発電プラントの場合、発
電所敷地を、高い人口地帯からできるだけ離すことを必要とする。それがもっ
とも確実で、経済的解決方法である」。ざけんな!

あれれ、いつもの調子じゃないぞ。硬くなっちまったなァ。面目次第もござい
ません。

(了)

(アプリ「編集室 水平線」のインストールは、以下のURLからお願いします。)
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お読みいただき、どうもありがとうございました。

よろしければ、友人・知人のみなさまに、このニュースレターの存在を知らせ
ていただけましたら幸いです。

編集室 水平線(発行人=西 浩孝)
〒852-8065 長崎市横尾1丁目7-19
Website: https://suiheisen2017.jp/

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