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新着情報

ニュースレター「ひとりから、長崎から」第3号(2023.3.31)を配信しました

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編集室水平線のニュースレター「ひとりから、長崎から」第3号(2023.3.31)
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こんにちは。編集室水平線の西浩孝です。
ニュースレター「ひとりから、長崎から」第3号をお届けします。

(このレターは、PCで読まれることを想定しているので、スマートフォンでは
読みにくいかもしれません。あらかじめご了承ください。)

 *

ニュースレターの内容紹介です。

「新着情報」では、文字どおり、水平線および水平線の刊行物に関する最新の
情報をお知らせします。

「作業日誌+α」は、ニュースレターが隔月配信なので、その2か月のあいだ
にメモした短い記録をいくつか掲載します。「+α」とあるのは、編集作業と
は関係のない記述も含まれているためです。

「海岸線」は、編集人(わたし)による書きものです。そのときに書きたいこ
とを自由に書いていきます。

「本棚の本」では、水平線(わたし)の本棚にある本を紹介します。これは、
フェイスブック、インスタグラムに投稿しているものと同じです。とくに感想
も解説も付けていないので、なんともそっけないコーナーです。

「『雨晴』から」は、オンラインマガジン『雨晴』(suiheisen2017.com)のなか
から、公開済みのひとつを選んで、一部または全部を掲載するものです。今回
は諸屋超子さんの連載第3回を全部お見せします。

 *

それではどうぞご覧ください。

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【新着情報】5月刊行!大谷良太詩集『方向性詩篇』ほか
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詩人・大谷良太さんの新詩集『方向性詩篇』を5月31日に刊行します。

前作『午前五時』(書肆ブン、2016年)以来の本作。2017年から2022年まで
の作品のうち、25篇を収めます。

編集室水平線としても、本書はひさしぶりの新刊です。うれしいです。

栞は中尾太一、駒ヶ嶺朋乎の両氏。大谷良太の詩の世界を読み解き、読者を誘
います。

本書は水平線のネットショップでの先行販売を考えております。ウェブサイト
やSNSでお知らせしますので、チェックをお願いいたします。

 *

国立ハンセン病資料館にて、企画展「ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』
の詩人たち」が開催中です(5月7日(日)まで)。
https://www.nhdm.jp/events/list/4942/

1953年、らい予防法闘争のさなか刊行された大江満雄編『いのちの芽』(三一
書房)は、全国8つのハンセン病療養所から73人が参加する、初めての合同詩
集でした。今年は詩集刊行から70年目にあたります。 

木村哲也『来者の群像 大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』は、この『い
のちの芽』に参加した詩人たちに取材した一冊です。これを機に、本書を手に
取っていただければ幸いです。

以下のページから、内容紹介、目次、著者略歴を見ることができます。また、
本文の一部も公開していますので、ぜひ読んでみてください。そのままネット
ショップで購入することも可能です。
https://suiheisen2017.jp/product/713/

【付記】
思潮社の雑誌『現代詩手帖』4月号では、「ハンセン病の詩」を特集。木村哲
也さんによる『いのちの芽』アンソロジーのほか、若松英輔さん、岡村幸宣さ
ん、姜信子さんらの論考・エッセイが掲載されています。こちらもどうぞ。

 *

オンラインマガジン『雨晴』で絵画作品を発表している姜湖宙さんの第一詩集
『湖へ』が書肆ブンから刊行されました。

姜さんは1996年ソウル生まれ。2003年渡日。『雨晴』の著者略歴には「絵・
小説・童話の創作を続けている」とあるのですが、こんど出したのは詩集です。
多才ですね。

青い星の付いたブロンズ時計の下で
またねって、私達は別れた
快速エアポート一四五号の中で
さっきまで漲っていた活気の中身を、私は捉え損ねている
破れた障子の座敷で静かなのは私達だけだった
果たせなかった温泉旅行の約束。
朽木村に入った青年はやがて工場労働者となった。
私達が樅の木だと思ったあの針葉樹の名前。
歴史も地名さえも私は全然知らなくって、
彼らと共有出来ない時代が紛れもなく在るから、
自分が若いことが時々悔やまれるよ。
たった一人でもちゃんと辿り着けるように、
GATEは一人ずつ通して行く
遅延した飛行機から小走りで
大阪は暑いなーって
ギリギリのバスに飛び乗ったら
ふんわりした淋しさが先に席に着いていた

「地平」全篇でした。

購入希望は、版元のウェブサイトへ。
https://shoshibun.shopinfo.jp/pages/5278611/page_201602191132

 *

ポッドキャスト第4回「催し等のご案内」を配信しました。約2か月ぶり。10
分程度のことなのですが、忙しくて余裕がないと、なかなかやれないものです。

ぜひチャンネル登録をお願いします。チャンネル名は「編集室水平線Podcast」
です。AppleまたはGoogleのポッドキャストで「編集室水平線」と検索して
みてください。

iPhoneやiPadでは、ホーム画面上にポッドキャストのアイコンがすでにあるは
ずです。Androidの場合は、Google Playから「Google Podcasts」をインストール
してください。

 *

オンラインマガジン『雨晴』を、だいたい週に1回のペースで更新しています。
この間に公開したのは、以下のとおりです。

●中里佳苗『生きた「吹き溜まり」』 第4回〜第6回「「ごちゃごちゃ言っ
てもしかたない」と「あきらめるな」のあいだ」
https://suiheisen2017.com/nakazato-kanae/
●亀山亮『戦争』 第3回「戦闘中に酒を飲む政府軍(リベリア)」
https://suiheisen2017.com/kameyama-ryo/1749/
●西尾漠『極私的原子力用語辞典』 第7回〜第9回「規制の虜」「クリアラ
ンス」「計画被曝」「原子力安全委員会」「原子力委員会」「原子力規制委員
会」「原子力基本法」「原子力資料情報室」
https://suiheisen2017.com/nishio-baku/
●諸屋超子『くたばれ』 第3回「アイブロウが効いてきたぜ」
https://suiheisen2017.com/moroya-choko/1805/
●上野朱『本のおくりびと』 第3回「記憶の細道」
https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/1817/
●姜湖宙『ストライク・ジャム』 第3回「나와너〈私とあなた〉 」
https://suiheisen2017.com/kang-hoju/1842/
●中村寛『脱暴力の思想』 第2回〜第4回「暴力概念の範疇」
https://suiheisen2017.com/nakamura-yutaka/

オンラインマガジン『雨晴』は、アプリ「編集室水平線」内で公開しています。
以下のページから、お手持ちのスマートフォンやタブレットに、インストール
をお願いします。
https://suiheisen2017.jp/appli/

『雨晴』はsuiheisen.comでも読むことができますが、アプリを入れると、毎回
プッシュ通知で更新情報が届きますので、こちらを推奨しております。

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【作業日誌+α】2023年1月〜3月
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●1月30日(月)
晴れ。朝、メールのチェック。「Hello, how’s it going?」「I have some cool information
that might interest you.」なんだこれ?「Your podcast 編集室水平線Podcast has
good performance in Apple Podcasts rankings (last 30 days)」「Position 21 in the category
Personal Journals (Japan)」。ポッドキャスト、個人ジャーナルのカテゴリー(日
本国内)で21位。社会・文化部門でも111位。1月18日に始めたばかりなのに。
ほんまかいな。きのう届いていた上野朱さんの『雨晴』連載原稿を読む。また
しても感動。

●2月3日(金)
節分。恵方巻きは食べたことがない。今年も食べない。午前、オンラインマガ
ジンの更新。中里佳苗さんの番。作業が終わって一休み。明日から国立ハンセ
ン病資料館で企画展「ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち」
がはじまる。先日、木村哲也さんから、復刊された詩集『いのちの芽』(大江
満雄編)を頂戴した。シンプルで美しい。来場者は無料でもらえるという。気
前がいい。木村さんの本『来者の群像 大江満雄とハンセン病療養所の詩人た
ち』が連動して売れることを期待しつつ、コーヒーを飲む。

●2月13日(月)
先週金曜日『方向性詩篇』(5月刊行予定)の束見本が届いた。上製なので思っ
たより厚かった。仮に作っておいたカバーを巻いたら上がすこし足りない。チ
リがあることを忘れていたのだった。全体の寸法を測る。縦194ミリ、背15ミ
リ、表1・表4は132ミリ、袖は80ミリとる。正午に著者の大谷良太さんから
最後の直しが届く。念校をPDFで送り、確認してもらって本文校了。駒ヶ嶺朋
乎さんにお願いしていた今日締切の栞文も来た。一読して感心。詩人は詩人を
知るのだ。中尾太一さんからはまだ来ない。面識のない人。催促すべきかどうか。

●2月22日(水)
2が並んでいる。予想どおり今日は猫の日だそうだ。「にんにんにん」で忍者
の日でもいけそうだが、そんなことはどうでもいい。「猫の写真集でも作るか」
と、あるときドキュメンタリー写真家がこぼしていた。ドキュメンタリーはだ
めだが猫なら売れる、というわけ。忙しい日々。目下の仕事のほかに、確定申
告、東京への出張、請負仕事、新しい企画の準備もある。芥川賞を受賞した佐
藤厚志氏の『荒地の家族』(新潮社)が東日本大震災のことを描いているとい
うのでKindleで買ったが読めていない。ろくに読書もしていない。

●2月28日(火)
7時すぎ起床。よく晴れている。最近はサボって出していなかったスタンド看
板をひさしぶりに外へ。今日は印刷所に行くので、その準備をする。簡単に昼
食を済ませて12時7分のバス。乗務員不足で、しばらく前から減便となってい
る。1時間に2本、逃すと痛い。中央橋に着いてから、古本屋を覗いたりして
昭和堂。カバー、表紙、見返し、本文、扉、花布、スピン、栞。たくさんの資
材を選ぶ。3月2日(木)完全データ入稿。見積書も同日に。ようやく終わり
だが、繁忙期につき、仕上がりの時期はいまのところはっきりしないという。
刷り部数はどうしようか。

●3月10日(金)
新原道信先生、来崎。正午すぎの到着と聞いているので、時刻に合わせて空港
までクルマを走らせる。着いて掲示板を見ると10分の遅れ。少し待つと、むこ
うに先生の姿が見えた。お会いするのは4年ぶり。あのときはまだマスクをし
ていなかった。学部長職(中央大学文学部)で極めて多忙ななか、たった1日
のために来てくださった。自宅にお招きして、日々の生活、いま考えていること、
直面している問題、どう生きるかなどについて夕方まで話す。稲佐山のレスト
ランで夕食を共にして、展望台から夜景を見、ホテルの玄関でお別れした。「愛
とはたたかうこと」という言葉に奮い立つ。

●3月18日(土)
東京出張。国立ハンセン病資料館(東村山市)の企画展「ハンセン病文学の新
生面 『いのちの芽』の詩人たち」を見にきた。同館の学芸員で『来者の群像』
の著者・木村哲也さんと再会。展示をじっくりと見る。常設展のほうもと思い、
ぐるっと回っていると、原爆の図丸木美術館の学芸員・岡村幸宣さんがいらし
たので、しばし立ち話。14時、現代詩作家・荒川洋治さんの講演会「戦後ハン
セン病文学を読みなおす」。詩集『いのちの芽』について、「人間がおよそ考
えるべきことが、このなかにすべて詰まっている」「70年ものあいだ、われわ
れはこの詩集を評価し損ねてきた」との言葉が重い。終演後、荒川さんとその
教え子の方々とコーヒーを飲みに。詩人の蜂飼耳さんに十数年ぶりにお会いす
ることができた。夜は木村さんと食事してわいわい。充実した一日だった。

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【海岸線-3】文学青年の死
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2月26日の朝、渋谷直人さんが亡くなった。翌日、姪の兵藤裕美子さんから私
の自宅に電話があり、私はそれを知らされた。96歳。3月5日にお別れ会が執
りおこなわれた。私は行くことができなかった。

渋谷さんは1926年11月生まれ(本名・駒形豊)。1945年8月、日本海軍(内
地分遣隊)から復員。故郷・山形県米沢市に帰還した日、父を亡くす。早稲田
大学教育学部卒業。東京都豊島区東長崎に住み、詩人・大江満雄の知遇を得る。
このころ、文芸誌『存在』『氷河』同人。川崎市立中学校教諭を経歴。『秧鶏』
『風嘯』等に詩や小説、評論を発表してきた。

渋谷さんとの最初の仕事は『大江満雄論 転形期・思想詩人の肖像』。2008年
9月刊。私は東京の出版社・大月書店に在籍していた。入社4年め。26歳。渋
谷さんとは50以上も年が離れていたのだと、書いていていまさら思う。

打ち合わせはいつも、新宿西口から少し歩いたところにある、あれはなんとい
う名前の喫茶店だったか、渋谷さんが仲間とハイデガーの研究会をしていたと
いう、そこでだった。しかし、いったい何を話していたのだろうか。初めて会っ
たときには、すでに原稿があった。あとは大方、郵送のゲラのやりとりで済む
はずで、たびたび顔をあわせる必要はない。それなのに、私の記憶では、あの
場所に何度も行ったのは間違いがないことだ。

喫茶店での話が終わると、飲みに行った。日が暮れるにはまだ早い時間だった。
思い出横丁、通称ションベン横丁の焼鳥屋。たいがい隅の席で、上機嫌で渋谷
さんは語った。戦後の闇屋稼業のこと、教員時代のこと、文学のこと、哲学の
こと、友人のこと。毎回ほとんど同じ話ではなかったか。若い私には内容がわ
からないことも多かったが、楽しい気持ちでいた。

新宿駅の地下で飲むこともあった。これは『大江満雄論』が出てから後のこと
かもしれない。焼き鳥もそうだが、渋谷さんは肉が好きだったようである。メ
ニュー表のサイコロステーキの写真を指して、「これ、頼もうか」と言ってい
たシーンを思い出す。変なことを覚えているものだ。渋谷さんが親しくしてい
た詩人の暮尾淳さんが合流することもあって、暮尾さんはいつも来たときには
すでに酔っ払っていた。暮尾さんには『雨言葉』(思潮社、2003年)という詩
集があるが、渋谷さんはしみじみと「あの詩集はいいなあ」と言っていたこと
もまた思い出す。暮尾さんも、いまはもういない。

『大江満雄論』の編集中、私は渋谷さんの原稿に鉛筆を入れまくった。それを
渋谷さんに送ったら会社に電話がかかってきて、「これはとても私には無理だ。
出版はやめる」と言われて慌ててなだめたこともあった。旧稿での副題「勇者
の如く腰に帯しめ身をただせ」(『ヨブ記』)を「思想詩人の肖像」に変更し
ようと提案したのは私で、そこに「転形期」を入れたいと言ったのは渋谷さん
だった。思想家・吉本隆明氏の推薦をもらったときは、共によろこんだ。

『大江満雄論』は、発売後すぐに東京新聞に書評が出て(評者は森田進氏)、
その後、雑誌『現代詩手帖』のたしか年鑑号だったと思うが、詩人の瀬尾育生
氏が「出るべきものがついに出た」と書いてくれた。その瀬尾氏は、自身の著
書『戦争詩論1910-1945』(平凡社、2006年)で大江満雄を大きく取り上げて
論じていた。時計の針を巻き戻すと、この本の元になったのは渋谷さんたちの
同人誌に掲載された「大江満雄論ノート」で、これを哲学者の鶴見俊輔氏が高
く評価したということがあった。装丁をしてくれた桂川潤さんも驚きをもって
内容を受けとめていた。ここに出てくるのは瀬尾氏以外みんな故人だ。残念な
がら売れなかった。

本の刊行から1年も経つと、交流は途絶えたのではないかと思う。偉い編集者
は、著者には年賀状に加えて暑中見舞いをかならず出し連絡を続けるそうだが、
まめではない私はそうではなかった。目の前の仕事につねに追われていたとい
う事情もあった。そうこうするうちに私は会社をやめ、長崎に移住することに
なった。2016年9月のことである。

まったく知らない土地での新しい生活。仕事のアテもなかったが、編集者を辞
めたくないという一心で、伝手を頼ってフリーランスとして働きはじめ、半年
後には「編集室水平線」を立ち上げて、最初の本、木村哲也さんの『来者の群
像』を出そうとしていた。そこに古巣の大月書店から携帯に電話がかかってき
た。渋谷直人さんから会社に連絡があったという。私が退社したことを伝えた
ら、電話がほしい、ということだった。

私は渋谷さんの自宅に電話をかけた。「もしもし、渋谷さんですか。たいへん
ご無沙汰しております。お元気ですか。大月書店から私のほうに連絡があった
のですが、どうされましたか」というようなことを言った。反応は、つぎのよ
うなものだった。「ここしばらく、何度も倒れて救急車で運ばれている。自分
はいつ死んでもおかしくない。ついては、これまでに書いたものを急いで本に
まとめたい。力を貸してほしい」。

私は当時、あきらかに過労だった。これ以上、働けるのか? 悩んだ末、「と
りあえず原稿を送ってください」と答えた。これはほとんど受けたも同然だっ
た。原稿を一読して目次を作った。データはない。すべて手で打ち込んだ。渋
谷さんから電話がくる。「まだか」。「もうちょっと待ってください!」と怒
鳴ったこともあった。しかし、いい本になりそうだった。2017年の9月にそれ
は出た。『遠い声がする 渋谷直人評論集』。もちろん即、渋谷さんに送った。
間に合ったと思った。

幸い、渋谷さんは生き延びた。その後はぼつぼつ、手紙でのやりとりを続けた。
あるときの手紙に、夫婦で川崎の老人ホームに入ったことが記されていた。耳
が聞こえなくなったという連絡もあった。(前後逆かもしれない。)ホームで
の生活は不自由だという嘆きもあった。ところでそのなかに、いま、文章を書
いているというものがあった。

何を書いているのだろうか。私はそれを送ってほしいと言った。まもなく届い
た原稿用紙の1行目には「家さ帰ろうよう——人生の終末期を迎えて——」と
あった。「食事風景の中で、白く乾いた風がふっと流れる。——家さ帰ろうよ
う——と、幼い時から折ふし漏れ出る淡い思いが掠すめる」。ここでは一部し
か引けないが、全体を読んだあと、心がしーんとした。末期の眼で書かれた風
景だと思った。

渋谷さんに、まだ本になっていない原稿はあるか、訊ねてみた。同人誌に載せ
た詩があるという。渋谷さんはそれらをすべて手元に置いていた。老人ホーム
に入居する際に処分しなかったのかと私は驚いた。少なくない荷物だ。おそら
くもう読み返したりもしないだろう。だが渋谷さんにとっては最後まで手放せ
ないものなのだ。残したい、という気持ちが私のなかに生じた。それは渋谷さ
んも同様だったようだ。

私は同人誌をまとめて預かった。渋谷さんは、自分の作品が掲載されているペー
ジに、すでに短冊を挟んでいた。おもに詩、わずかにエッセイ。本にするには
分量が足りなかった。絶版になっていた小説集『鳥と魚のいる風景』(近代文
藝社、1982年)を取り込むことにした。正直に言って、それほど上手いとは思
えなかった。ただ切実なものがあった。その思いを託せるのが、渋谷さんにとっ
ては唯一、文学だったのだろう。『夕暮れの走者 渋谷直人詩文集』は2021年
の10月に完成した。「夕暮れの走者」は所収作のタイトルだが、これを選んだ
理由は、現在の渋谷さんそのものだと思ったからだ。

その1か月後、私は川崎の老人ホームを訪ねた。応接室に通され待っていると
渋谷さんが現れた。思っていたよりも、ずっと元気そうだった。アクリル板を
挟んで、テーブルで向き合った。1時間まで、という制限が出された。私はささ
やかな打ち上げをと思って、途中のコンビニでビール2本、ビールがだめだっ
たときのためにノンアルを2本買ってきていたのだが、どちらも職員に却下さ
れた。仕方がないので開けないまま乾杯した。耳が聞こえないというので筆談
用のノートも持参したが、渋谷さんがひとり饒舌をふるったので不要だった。よ
かった、健康だ、まだ大丈夫だ、と思ういっぽうで、渋谷さんとはこれで最後
だろうと感じていた。

『夕暮れの走者』前後の渋谷さんからの手紙を数えたら50近くあった。という
ことは、私も同じだけ書いているので、あわせて約100通になる。電話ができ
なかったから、ということがあるにせよ、結構な数だ。ほぼ必ず書いてあった
のは、坊や(私の息子)のために体を大事にしろ、ということと、老人ホーム
は制限が多く息がつまる、ということと、自分はもう長くない、ということ。
「もう一回、新宿で一緒に焼き鳥を食べたいが、それはもはや叶わぬこと!」
と渋谷さんが書いてきたことがあって、そのときは寂しかった。そういえば最
近は、渋谷さんから手紙をもらうことがなかったなあと、いま振り返っている。

渋谷さんは『夕暮れの走者』のあとがきで書いている。「私は私の実存を必死
に生きたと、言おう」。渋谷さんの実存は、若くから文学に賭けられた。渋谷
さんは、最後まで文学青年として、生涯を生ききった。私は渋谷さんの本を作
ることができて、よかったと思う。

ひとつ渋谷さんの詩を引用して、この文を閉じよう。

地球が 宇宙無限軌道を
ころころっと ころがって
        ぽっとんと 墜ちる——。

 今日 ひと日 哀しいほどに青い空
境界なんかに 意味はない
緑なす草原で ステップを踏んで 踊ろう。

夜になったら ほたる草の中に
小さな灯りをともす 工夫をするのもいい
空には 満天の星。
        ああ、今日 ひと日。

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【本棚の本】大江満雄編『詩集いのちの芽』ほか
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●大江満雄編『詩集いのちの芽』国立ハンセン病資料館、2023年

●新原道信『ホモ・モーベンス 旅する社会学』窓社、1997年

●反原発事典編集委員会編『反原発事典 シリーズⅠ [反]原子力発電・篇』
『反原発事典 シリーズⅡ [反]原子力文明・篇』現代書館、1978・1979年

●大谷良太『薄明行』詩学社、2006年

●繁延あづさ『山と獣と肉と皮』亜紀書房、2020年

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【『雨晴』から】諸屋超子『くたばれ』 第3回「アイブロウが効いてきたぜ」
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あざと・い
①思慮が浅い。小利口である。
②押しが強くて、やり方が露骨で抜け目がない。

広辞苑によれば、「あざとい」という言葉の意味はこの通りである。ちなみに、
慣用句の「抜け目がない」は、〈自分の利益のために十分気を配っており、抜
けたところがない〉とある。

そう、自分の利益のためである。

そういったことから、当然否定的な意味合いの強い「あざとい」という言葉だ
が、昨今、世間では誉め言葉として定着している。利己的な姿勢が肯定されて
いるのか? 小利口なくらいが調度いいというような相手への蔑視が潜んでい
るのか? ともかく、「あざとい」は肯定的な言葉として受け入れられ、無垢
で愛らしい子猫や赤ん坊にまで「あざとい」という輩が出る始末。

この「あざとい」の変化に違和感を覚えるのか、難なく受け入れるのみならず
自分もあざとくありたいと考えるのか、そのあたりの考え方はその人の人柄を
伺い知ろうという時に面白い糸口になるだろう。

後者であるのは坂田浅美である。彼女は、家族と共用の歯磨き粉の飛沫がこび
りついた鏡の前でもう半時間も、小さなしわの一つもまだないような若い肌を
入念に手入れしている。

彼女の左手には、先週発売された「あざとかわいい」肌を作るというクリーム
が蓋を開けて置かれている。

浅美の人生にとって大切なのは小さな信頼の積み重ねで、それは小学生時代、
習慣化していた早寝早起きを、大好きだった担任教師に誉められたことによっ
て逆算して考えたモットーだった。目標を立てるなら達成が確実なものがいい。

短大卒業後、はじめに就職した幼稚園では、このモットーを園児たちに伝えら
れる教諭になりたいと考えていたが、たった一人、毎朝、必ず遅れてやってく
る子どもがいて、当然その子が一人では登園できないので、父親が送ってくる
のだが、彼に小さな信頼の積み重ねの大切さを説いても、曖昧に笑って頭を下
げるだけなのだ。

それですっかり嫌気がさした浅美は、わずか1年で幼稚園を退職し、今の会社
に転職した。

「ふつう」の会社で「ふつう」に働くのには、小さな信頼の積み重ねの大切さ
が効いてくるはずだと思ったからだ。

もちろん、浅美の勤める会社は「ふつう」を売りにしているわけではなく、調
べれば事業内容もはっきりとわかるはずなのだが、浅美の勤務先への理解は淡
いものであった。

知らないことで差し障りがあるわけではないから、「事務だし」と割り切って
浅美は働いている。本当は差し障るし、事務は外側に出来たイボではないのだ
から、知るべきなのだが、その差し障りにはいっさい気が回らないのが浅美で
ある。

そんな浅美は、小さな信頼を積み重ねてきたはずの人生に裏切られつつあった。
浅美と人生の間には、暗黙の了解があったはずだった。それは、適齢期になっ
たなら、自然と恋人から求婚され、当たり前の結婚式をあげるというものだ。

適齢期なんてものはないし、結婚が当たり前だと考えない人もいるということ
に、浅美は当然思い至らない。

ただ、結婚を諦めた女と、結婚した女がいる。それが浅美から見た世界だった。
そして、当座、自分が結婚した女になるために足りないのは「あざとさ」だと
いうことで肌を磨いている。

本当は、予定不調和を嫌う彼女が恋人の煮えきらなさをなじる時の陰険な目つ
きこそ、見つめ直した方がよさそうなのは言うまでもないのだが。

彼女の特技は早寝早起きよりも、特定の範囲外に目を向けないことなのかもし
れない。

さて、誉め言葉としての「あざとい」への違和感をぬぐえずにいるのは杉本梨
恵だ。彼女は面倒な人間だ。

浅美がフェミニストを愚か者と切り捨て、女性の自立について語られると気の
利いた冗談を聞かされたかのようにクスクス笑いを始めるのに対して、梨恵は
「あざとい」がほぼ女の媚態について語られていることにいちいち腹が立つの
だ。

なぜ女なのか。なぜ他者評価の中にどっぷりとつかって、注目を集めることが
賢さかのように語られるのか。媚態の媚びるという漢字がおんなへんであるこ
とすら気にくわない。

おんなへんに眉。眉と言えば、女の眉の流行で経済が占えるなんて説が真剣に
語られるとき、でも結局、眉で表情を消してミステリアスに・・・・・・とか、自然
な眉で表情豊かに・・・・・・とか、どっちにしろその先に誰かへの媚びが匂ってい
るようでムカつく。

梨恵の鏡は大きくよく磨かれており、しかし梨恵の鏡の前での滞在時間は一日
平均十分程度だ。

ナチュラルメイクという厚化粧を拒絶して、きっぱりと濃い口紅をひく。

先日、恋人と食事に出かけた先で、恋人の同僚同士の不倫に話題が及び、恋人
が「ああいった関係は、たいてい女が職場を去って終わるだろう」と述べたの
で、思わず大きな声を出してしまった。

「男尊女卑の豚!」

隣のテーブルの大学生のグループが、ぎょっと目を見開きテーブルの上のあじ
フライを見つめていた。

浅美と梨恵。彼女たちは対立すべきなのだろうか? それとも、男性上位の父
権的社会に踊らされずに手と手をとりあうべきなのだろうか。

私から見て言えることは、おそらく二人は気が合わないだろうということだけ
だ。

しかし、実は彼女たちには思いがけない共通点があるのだ。

買い物だ。彼女たちは買い物が好きなのだ。これは、女性だから買い物が好き
だという話をしているのではない。

彼女たちは、七夕の短冊に託すような、ささやかで、それでいて大胆な願いを
買い物に託す。

すてきなスカーフ、輝くキーホルダー、美しい流線型のピアス。そんな小さな
たからものたちが揺れるとき、浅美は、そして梨恵は、自分の肺からラメ入り
の呼気が流れ出していく様子を想像する。

毎日じゃなくていい、月に何度か、自分の肺から流れ出すラメ入りの息で、世
界をあっといわせてやりたい。役立たずの、何の変哲もない自分という体の中
から、きらきらと輝くラメ入りの息を。
 
(了)

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……………………………………………………………………………………………

お読みいただき、どうもありがとうございました。

よろしければ、友人・知人のみなさまに、このニュースレターの存在を知らせ
ていただけましたら幸いです。

編集室水平線(発行人=西浩孝)
〒852-8065 長崎市横尾1丁目7-19
Website: https://suiheisen2017.jp/

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●ご意見・ご感想は、下記の「お問い合わせ」フォームからお願いいたします。
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