内容紹介
目次
著者略歴
宮崎県高千穂町の土呂久(とろく)は、宮崎県と大分県境にそびえる祖母・傾山系の谷間に奥深く分け入った集落である。
本書は土呂久史の集大成。埋もれていた資料の発掘と新解釈を加え、祖母・傾山系に集落が形成された過程、西国一の長者をうみだした銀山時代、猛毒亜ヒ酸の製造が始まった背景、集落を苦しめた煙害の実態、自治組織「和合会」の抵抗と内部対立、人の健康被害が社会問題化した経過、損害賠償訴訟と最高裁和解、その後の国際協力、土呂久を舞台にした環境教育、深刻化する過疎……と激変した歴史を詳述する。
ブックデザイン=design POOL(北里俊明+田中智子)
装画・挿画=山福朱実
【入手方法】
メールにて受け付けます。nishimura-kayo@asia-arsenic.jp
メール本文に、①送付先の宛名、②住所、③電話番号(郵送希望の場合)、 ④希望冊数をお知らせください。
手渡しの場合は1冊1,000円(包装代を含む諸経費)、1冊送付をご希望の場合は1,500円(送料、包装代を含む諸経費)をお願いいたします。なお、複数冊送付希望の場合は送料が確定できませんので、金額は後日お知らせします。書籍送付の際に、ゆうちょ銀行払込用紙を同封いたします。
〈問い合わせ先〉
担当:西村(特定非営利活動法人アジア砒素ネットワーク事務局内)
メール:webmaster@asia-arsenic.net または、nishimura-kayo@asia-arsenic.jp
本書は土呂久史の集大成。埋もれていた資料の発掘と新解釈を加え、祖母・傾山系に集落が形成された過程、西国一の長者をうみだした銀山時代、猛毒亜ヒ酸の製造が始まった背景、集落を苦しめた煙害の実態、自治組織「和合会」の抵抗と内部対立、人の健康被害が社会問題化した経過、損害賠償訴訟と最高裁和解、その後の国際協力、土呂久を舞台にした環境教育、深刻化する過疎……と激変した歴史を詳述する。
ブックデザイン=design POOL(北里俊明+田中智子)
装画・挿画=山福朱実
【入手方法】
メールにて受け付けます。nishimura-kayo@asia-arsenic.jp
メール本文に、①送付先の宛名、②住所、③電話番号(郵送希望の場合)、 ④希望冊数をお知らせください。
手渡しの場合は1冊1,000円(包装代を含む諸経費)、1冊送付をご希望の場合は1,500円(送料、包装代を含む諸経費)をお願いいたします。なお、複数冊送付希望の場合は送料が確定できませんので、金額は後日お知らせします。書籍送付の際に、ゆうちょ銀行払込用紙を同封いたします。
〈問い合わせ先〉
担当:西村(特定非営利活動法人アジア砒素ネットワーク事務局内)
メール:webmaster@asia-arsenic.net または、nishimura-kayo@asia-arsenic.jp
はじめに
第1章 自然と人間の関係史
第2章 栄枯盛衰の銀山
第3章 和合の郷の形成
第4章 毒物を産する鉱山
第5章 軍需産業の傘下に
第6章 閉山と和合会解散
第7章 公害患者救済
第8章 国際協力
第9章 環境学習
あとがき
土呂久検診参加医師名簿等
第1章 自然と人間の関係史
第2章 栄枯盛衰の銀山
第3章 和合の郷の形成
第4章 毒物を産する鉱山
第5章 軍需産業の傘下に
第6章 閉山と和合会解散
第7章 公害患者救済
第8章 国際協力
第9章 環境学習
あとがき
土呂久検診参加医師名簿等
川原一之(かわはら・かずゆき)
1947年福岡県生まれ、北九州市で育つ。早稲田大学政経学部新聞学科卒、朝日新聞記者のとき高千穂町旧土呂久鉱山周辺で起きたヒ素公害を取材、75年に新聞社を辞めてヒ素中毒患者を支援する一方、記録作家として土呂久の歴史を著述した。土呂久訴訟が最高裁で和解した後、94年にアジア砒素ネットワークを結成、アジアのヒ素汚染地の調査・対策に踏みだし、2000年にJICAからバングラデシュに派遣され、その後15年までヒ素汚染対策プロジェクトの総括。20年に宮崎大学が土呂久歴史民俗資料室を開設後、客員教授・非常勤講師として資料の収集・整理にあたる。著書に『口伝 亜砒焼き谷』『アジアに共に歩む人がいる』(以上、岩波書店)、『浄土むら土呂久』(筑摩書房)、『土呂久羅漢』(影書房)、『辺境の石文』(径書房)、『いのちの水をバングラデシュに』(佐伯印刷出版事業部)、『闇こそ砦 上野英信の軌跡』(大月書店)、『アートは君のハンディのなかに』(たんぽぽの家)など。
※略歴は刊行時あるいは増刷時のものです。
1947年福岡県生まれ、北九州市で育つ。早稲田大学政経学部新聞学科卒、朝日新聞記者のとき高千穂町旧土呂久鉱山周辺で起きたヒ素公害を取材、75年に新聞社を辞めてヒ素中毒患者を支援する一方、記録作家として土呂久の歴史を著述した。土呂久訴訟が最高裁で和解した後、94年にアジア砒素ネットワークを結成、アジアのヒ素汚染地の調査・対策に踏みだし、2000年にJICAからバングラデシュに派遣され、その後15年までヒ素汚染対策プロジェクトの総括。20年に宮崎大学が土呂久歴史民俗資料室を開設後、客員教授・非常勤講師として資料の収集・整理にあたる。著書に『口伝 亜砒焼き谷』『アジアに共に歩む人がいる』(以上、岩波書店)、『浄土むら土呂久』(筑摩書房)、『土呂久羅漢』(影書房)、『辺境の石文』(径書房)、『いのちの水をバングラデシュに』(佐伯印刷出版事業部)、『闇こそ砦 上野英信の軌跡』(大月書店)、『アートは君のハンディのなかに』(たんぽぽの家)など。
※略歴は刊行時あるいは増刷時のものです。