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新着情報

ニュースレター「ひとりから、長崎から」第2号(2023.1.27)を配信しました

★配信登録はこちらから。
https://suiheisen2017.jp/newsletter/

 

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編集室水平線のニュースレター「ひとりから、長崎から」第2号(2023.1.27)
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こんにちは。編集室水平線の西浩孝です。
ニュースレター「ひとりから、長崎から」第2号をお届けします。

(このレターは、PCで読まれることを想定しているので、スマートフォンでは
読みにくいかもしれません。あらかじめご了承ください。)

 *

ニュースレターの内容紹介です。

「新着情報」では、文字どおり、水平線および水平線の刊行物に関する最新の
情報をお知らせします。

「作業日誌+α」は、ニュースレターが隔月配信なので、その2か月のあいだ
にメモした短い記録をいくつか掲載します。「+α」とあるのは、編集作業と
は関係のない記述も含まれているためです。

「海岸線」は、編集人(わたし)による書きものです。そのときに書きたいこ
とを自由に書いていきます。

「本棚の本」では、水平線(わたし)の本棚にある本を紹介します。これは、
フェイスブック、インスタグラムに投稿しているものと同じです。とくに感想
も解説も付けていないので、なんともそっけないコーナーです。

「『雨晴』から」は、オンラインマガジン『雨晴』(suiheisen2017.com)のなか
から、公開済みのひとつを選んで、一部または全部を掲載するものです。今回
は中村寛さんの連載第1回を全部お見せします。

 *

それではどうぞご覧ください。

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【新着情報】企画展「ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち」ほか
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2月4日(土)から、国立ハンセン病資料館にて、企画展「ハンセン病文学の
新生面 『いのちの芽』の詩人たち」が開催されます(5月7日(日)まで)。
https://www.nhdm.jp/events/list/4942/

1953年、らい予防法闘争のさなか刊行された大江満雄編『いのちの芽』(三一
書房)は、全国8つのハンセン病療養所から73人が参加する、初めての合同詩
集でした。今年は詩集刊行から70年目にあたります。 

木村哲也『来者の群像 大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』は、この『い
のちの芽』に参加した詩人たちに取材した一冊です。これを機に、本書を手に
取っていただければ幸いです。

以下のページから、内容紹介、目次、著者略歴を見ることができます。また、
本文の一部も公開していますので、ぜひ読んでみてください。そのままネット
ショップで購入することも可能です。
https://suiheisen2017.jp/product/713/

 *

ポッドキャストのチャンネルを開設しました。チャンネル名は「編集室水平線
Podcast」です。AppleまたはGoogleのポッドキャストで「編集室水平線」と検
索してみてください。

iPhoneやiPadでは、ホーム画面上にポッドキャストのアイコンがすでにあるは
ずです。Androidの場合は、Google Playから「Google Podcasts」をインストール
してください。

公開済みのエピソードは、まだ三つしかありませんが、これから水平線のいろ
いろについて、ときどき配信していくつもりです。

ぜひチャンネル登録をお願いします。

 *

オンラインマガジン『雨晴』を、だいたい週に1回のペースで更新しています。
この間に公開したのは、以下のとおりです。

●中村寛『脱暴力の思想』 第1回「暴力の縮減可能性--まえがきに代えて」
https://suiheisen2017.com/nakamura-yutaka/1516/
●亀山亮『戦争』 第2回「アディラ・ブミディア(36歳)」
https://suiheisen2017.com/kameyama-ryo/1547/
●西尾漠『極私的原子力用語辞典』 第4回〜第6回「核管理社会」「核セキュ
リティ」「核燃料」「核燃料サイクル」「核武装」「核融合」
https://suiheisen2017.com/nishio-baku/
●諸屋超子『くたばれ』 第2回「めまい」
https://suiheisen2017.com/moroya-choko/1660/
●上野朱『本のおくりびと』 第2回「ページの間の物語」
https://suiheisen2017.com/ueno-akashi/1676/
●姜湖宙『ストライク・ジャム』 第2回「〈TALK〉」
https://suiheisen2017.com/kang-hoju/1699/

オンラインマガジン『雨晴』は、アプリ「編集室水平線」内で公開しています。
以下のページから、お手持ちのスマートフォンやタブレットに、インストール
をお願いします。
https://suiheisen2017.jp/appli/

『雨晴』はsuiheisen.comでも読むことができますが、アプリを入れると、毎回
プッシュ通知で更新情報が届きますので、こちらを推奨しております。

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【作業日誌+α】2022年11月〜2023年1月
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●11月25日(金)
晴れ。昨日は寝つきが悪かった。朝食のあと、今日締切の請負仕事の残りをやっ
つけるためにPCに向かう。ある程度の長さの文章を要約する、といった内容
だが、自分はこれが得意らしい。ささっと仕上げて午前のうちに納品。その後、
初めてのニュースレターを配信するために段取りをするものの、ごたごたして
しまう。ホームページ制作会社のOさんに助けを求め、昼ごろなんとか送信。
疲れたのでだらだらしているところに、アナキストの森元斎さんが遊びにきて
くれる。ダメな書き手についての悪口など。一服した森さんを見送ってから、
カレーをつくった。

●12月4日(日)
5時半起床。企画の打ち合わせのため、昨日から宮崎に来ている。これから記
録作家の川原一之さん、西日本新聞記者の中山憲康さんに会う。10時、ホテル
をチェックアウト。12時40分、高千穂バスセンター集合。わたしの運転で、
鉱毒事件で知られる土呂久へ向かう。鉱山労働者の社宅跡、公害被害者・佐藤
鶴江さん(故人)宅などを回っていると、盛實弘行さん(という名前だと後で
知った)が電動カートに乗って現れた。30年ほど前から、桜やツツジを100本
以上植え、草刈りなど毎日のように手入れを続けている人だそう。90歳。感嘆
する。その後、有機農業を営む佐藤マリ子さんのおうちにお邪魔して歓談。すっ
かり日が暮れたのち、高千穂中心部へ戻り、居酒屋「ひだりうま」でようやく
本の話になる。

●12月12日(月)
午前。オンラインマガジン『雨晴』掲載の文章(1万字超のもの)について、
「あの長いやつはスマホで読むのがきつい」「読むまえから怖気づく」などと
いった声が複数寄せられているため、とりあえず3分割して公開しなおした。
これでずいぶん読みやすくなったはず。午後。これまではアプリをインストー
ルしないと見られなかった『雨晴』を、suiheisen2017.comというアドレスから
もアクセスできるようにした。運用からちょうど2か月、「囲い込み」作戦よ
りも、非限定公開にしたほうが、アプリ利用者が増えるのではないか、という
判断。うまくいかないようだったら、元に戻せばよい。

●12月15日(木)
14時、栄町の昭和堂。Kさんがいつもの笑顔で迎えてくれる。これまでに出し
た4冊の印刷・製本は、すべてここに頼んできた。今日は大谷良太『方向性詩
篇』の別丁扉、栞、束見本についての相談。紙の高騰の話題から。価格の変動
が激しいため、見積もりは校了の直前に取ること。雑談のあと本題へ。あこが
れの別丁扉。わたしがこれまでに編集してきた本はすべて共紙だった。今回は
詩集なので、多少お金がかかっても体裁を良くしたい。栞も付ける。詩人2人
から内諾を得た。束見本は丸背にするか角背にするか迷って決められず。花布
について聞くのを忘れた。帰りに来年のカレンダーを頂いて、「今年もお世話
になりました」。

●1月12日(木)
年が明けて、早くも上旬が過ぎ去った。遅すぎる仕事始め。まずはスタンド看
板を外に出す。空が曇っている。こちらもどんよりする。パソコンの前に座り、
たまったメールを順にチェックしていく。みすず書房からのニュースレターを
見て、今年も『みすず』の「読書アンケート特集」掲載号を注文しなければと
思う。『みすず』は8月号で休刊とか。一時は定期購読していたが。昼食をは
さんで、『方向性詩篇』栞への執筆依頼文を書く。ゲラも印刷。2000字、締切
は1か月後でお願いする。アプリのダウンロード数が気になり問い合わせ。だ
いたい予想どおりの数字。さらに広報に努める必要がある。

●1月18日(水)
晴れ。ポッドキャストのチャンネルを開設した。正確に言えば、ようやく開設
と相成った。Appleは申請から2〜3日で完了、たいへんスムーズだったが、
Googleは審査に時間がかかった。何度も「編集室水平線」で検索してはヒッ
トせず、やきもき。10日ほどしてついに画面に出てきたときは染みた。さっそ
く自分で登録。「テストです」「テストです」とスマホに向かって話してみる。
再生。おお。編集したりBGMをつけたりすることもできるが(試してみた)、
YouTubeやTikTok、ましてや本物のラジオ番組じゃあるまいし、素の録音その
ままでよかろう。これから、音声でも水平線のことを発信していく。いいかげ
ん本を刊行したい。

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【海岸線-2】どうして生きてきたのですか?
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仕事に疲れると、PCやゲラから離れて、窓のほうに目をやる。玄関の外に出て、
背伸びをしたり屈伸をしたりする。

その延長で、デスクを取り囲む本棚のまえに立つこともある。先日は、大江健
三郎の『「自分の木」の下で』(朝日新聞社、2001年)に手がのびた。わたし
が持っているのは、2003年9月30日付の第15刷である。大学4年生のときだ。

この本は、「若い人たち、それも子供といっていい年齢の人たち」に向けて書
かれたエッセイ集で、大江さんは、「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」
といった疑問に答えたり、「取り返しのつかないことは(子供には)ない」と
いうメッセージを送ったりしている。

一度しか読んでいないはずだ。パラパラとめくってみる。意外にも、それなり
に覚えている。やさしい書きぶりだったからだろうか。それとも、とくに集中
して読んだのか。覚えている理由のほうは、覚えていない。

初読のときにショックを受けた1章がある。題は、「どうして生きてきたので
すか?」。内容にではなく、タイトルそのものに、わたしは恐ろしいものを感
じとった。どうして生きてきたのですか? いったい、だれが訊いているのか。
どう答えればいいのか。すごい問いじゃないか!

これは、子供の大江さんが、年をとった自分に質問したいと思っていたことだ
という。「どうして」という言葉には、「どのような方法で」と「なぜ」とい
うふたつの意味がある。もちろん、どちらか一方に正確に決めて、そのうえで
聞くのが正しいが、子供の自分は、そのふたつの意味を一緒にして尋ねたい気
持ちだった。

それから60年近くが経ち、もう実際に生きている自分が、年をとっている。そ
こに、半世紀以上前の子供の自分がやってきて、こう問いかけるかもしれない。
「どうして生きてきたのですか?」。それに答えて、長い長い話をするかわり
に、私は小説を書いてきたのではないか。大江さんのひとつの結論である。

さて、小説家ではないわたしは、この問いにどう答えればよいのか。長い長い
話をするしかないのだろうか。よく考えた末に、いや、と思う。小説家ではな
いわたしにも、本があるじゃないか! 編集者にも!

「どうして生きてきたのですか?」と訊く子供の自分に、これまでに編集した
本を、そして、これから編集する本を、ずらりと並べて示してみたい気持ちが
する。わたしはこのように生きてきたのですよ、と。そこには「なぜ」に対す
る答えも含まれている。そのことが、子供の自分にも、やがて伝わるといい。

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【本棚の本】青木深『進駐軍を笑わせろ! 米軍慰問の演芸史』ほか
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●青木深『進駐軍を笑わせろ! 米軍慰問の演芸史』平凡社、2022年

●上野朱『蕨の家 上野英信と晴子』海鳥社、2000年

●鎌田遵『ぼくはアメリカを学んだ』岩波ジュニア新書、2007年

●亀山亮『山熊田』夕書房、2018年

●中村寛『残響のハーレム ストリートに生きるムスリムたちの声』共和国、2015年

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【『雨晴』から】中村寛『脱暴力の思想』 第1回「暴力の縮減可能性」
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暴力はいたるところにある。これまでも、これからも、いたるところに。最も
平穏な場所や時間にも、最も寛容な贈与のなかにも、退屈だけども無垢な日常
のうちにも。けれども、そのようにして、ほとんどすべてを暴力というコトバ
で表現すること自体、暴力である。あるいは、暴力になりうる。その力の作用
する個別具体的な場や関係を無視することで。しかし同時に、特定の暴力につ
いて語ることは、他の暴力の形態を無視し、排除することでもあるのだ。それ
から、苦しみや怒りというものがある。はじめから、私たちがこの世にうまれ
るはるかまえから。どのようにして特定の時間や空間での暴力を認識し、それ
について語ることができるだろうか。どうやって、暴力を再生産しないように
しながら、それについて書くことができるだろうか。どのように他者の苦しみ
や痛み、不満や怒り、恐れに触れることができるだろうか。

--というふうに、2008年に提出した博士論文Community in Crisis: Language
and Action among African-American Muslims in Harlemの書き出しに記した。今や、
次のように修正を加えないといけない。認識し、語り、書き、触れるだけでは
不十分である、と。

暴力を主題におく研究はすでに数多く存在する。しかし、あたりまえだが、暴
力は研究のために存在するのではない。暴力のみごとな分析は、どこかむなし
い。それはすべて事後的な整理であり、渦中においてはほとんど役立たない。
そして、どんなみごとな分析も、暴力を今のところ止めることができていない。
どんなすぐれた哲学者も、思想家も、研究者も、作家も、戦争は止められない
し、民族間(内)の暴力も、家庭内のドメスティック・ヴァイオレンスも、教
室内のいじめも、路上の殺人も、止めることができていない。全員、あとから
やってきて、それについて語り、描写し、分析するだけである。

暴力をそれっぽく描写し分析するのではなく、暴力を防ぐことはできないだろ
うか。それに歯止めをかけ、縮減し、その力の効果をかぎりなくゼロに近づけ
られないだろうか。暴力をふるう者が、いつのまにか自滅したり、ふるうこと
がばかばかしくなったり、はからずも相手を救っていたりするような仕組みを
つくれないだろうか。気づかずに暴力をふるう者が、すぐにそのことに気づい
てしまい、気づかずに利他的にふるまってしまうような仕組みはできないだろ
うか。

もちろん、暴力を完全に断ち切ることは難しいだろう。暴力を完全になくそう
とすれば、さらに大きな暴力を使ってそれを断ち切ることになる。そうだとす
ると、暴力に対抗するという名目のもとで、あらためて暴力を発動することに
なる。

しかし、暴力に肩透かしをくらわせたり、中和させたりすることで、その力を
縮減することはできないだろうか。どのようにすれば、そのような暴力の縮減
は可能だろうか。

本研究は、脱−暴力(de-violence)の研究である。暴力を縮減するための仕組み
と、それを支える理論について、語っていこうと思う。暴力の研究については、
これまでずいぶんとたくさんの記述と分析がある。とりわけ、見えやすい様態
の暴力については、枚挙に暇がない。世の中にどれだけひどい暴力があるかを
描いてみせる本や映画、ドキュメンタリーは数多くあるし、そうした暴力がい
かにひどい結果をもたらすか、についても複数の文献がある。それらについて
は、紹介しながらまとめていくが、それが本研究の目的ではない。

本研究で示したいことは、あらゆる様態の暴力の縮減可能性である。戦争の軍
事的暴力も、人種・民族間や人種・民族内で起こる暴力も、路上の個人間で起
こる殺人や傷害も、家庭内で起こるドメスティック・ヴァイオレンスも、学校
や職場でのいじめやハラスメントも、差別や警察の残虐行為も、環境や非人間
への暴力も、表象や言説の暴力も、すべて縮減可能であるということ、しかも
その場合、心ある少数者の社会運動によって、つまりは属人的な努力によって
ではなく、仕組みによって、行為者がたいして考えることなしに、縮減されて
いく仕組みをつくることが肝要だということを、これから示していこう。

それに先立って、暴力の研究が必要だろうか。正直、以前ほどの確信はない。
かつてなら胸をはってイエスということができたのだが……。しかし、これま
での暴力の研究を、多くの人が参照可能なかたちにしてまとめておくことは、
無意味ではないかもしれない。また、そうすることで、暴力という言葉の複数
の文脈を整理することも可能になる。なので、脱暴力の思想を描くまえに、ま
ずはそれからやっていこうと思う。

暴力と権力との関係はなんだろうか。暴力はいつ、どのような状況で顕在化し
たり、隠れたりするのだろうか。見えにくい暴力、と誰かが記述するとき、そ
の暴力は誰に見えやすく、誰に見えにくいのだろうか。暴力の経験の相が、1人
称、2人称、3人称と人称変化を起こすとき、それらの「客観的」記述は可能だ
ろうか。軍隊や兵器がかかわる巨大な集合的暴力と、小集団の暴力とのあいだ
の関係はなんだろうか。物理的暴力と、表象の暴力、象徴暴力、との関係はな
んだろうか。暴力と社会的痛苦の関係はなんだろうか。暴力の「加害者/被害
者」という文法は健全だろうか。加害者が被害者になり、被害者が加害者にな
るということはあるだろうか。暴力の主体と対象は、人間だけだろうか。非人
間にエイジェンシーを認めるとき、非人間も暴力をふるうだろうか。非人間に
対する暴力をどのように捉え問題化できるだろうか。暴力を非日常的で特異な
現象としてしまいがちな傾向は、なにに由来するのだろうか。

まず、上記のような問いにこたえてみたいと思う。

(了)

(アプリ「編集室水平線」のインストールは、以下のURLからお願いします。)
https://suiheisen2017.jp/appli/

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お読みいただき、どうもありがとうございました。

よろしければ、友人・知人のみなさまに、このニュースレターの存在を知らせ
ていただけましたら幸いです。

編集室水平線(発行人=西浩孝)
〒852-8065 長崎市横尾1丁目7-19
Website: https://suiheisen2017.jp/

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